2012年03月20日
かりゆし
恥ずかしい話だが、この歳になっても、お彼岸の意味や日にちを知らなかった。
お彼岸に墓参りするということだけは、かろうじて知っていた程度である。
ある休日の朝、友人宅で飲み明かして、グッタリしていると親戚の叔母から電話が入った。
『次のお彼岸、お父さんの初彼岸でしょ。どうするの?』
『お彼岸?いや、うちのかーちゃん、集まるとか、何も言ってなかったよ。墓参りは行くけど』
『私たちは20日にお墓参り行くからね』
わかりましたと電話を切る。そうか、20日がお彼岸なのか。カレンダーを見てみる。
春分の日じゃないか。春分の日がお彼岸なのか。知らなんだ。
調べてみると、お寺と付き合いがあると、僧侶に読経してもらったりするらしい。
母に訊ねると、うちは親戚各々墓参りで済ませるとのことだった。
春分の日は休めそうになかったので、18日の日曜に行くことにした。
親戚が各々墓参りに来るというので、その前に墓の掃除でもしようという気になったのだ。
結局、日曜に、母と電話をくれた母方の叔母さん、叔父さん、ばあちゃんの5人での墓参りをして、掃除をした。帰りに家のそばの中華料理屋の円卓で、皆で食事をした。
混み合う時間に当たってしまったらしく、予約はしてあったので、席には通されたが、肝心の料理がなかなか来ないので、オレと叔父さんは酒ばかり飲んでしまう。
そういえば、この叔父さんとは、よく酒を飲んだ。親父と叔父さんのタッグに何度潰されたかわからない。乱れに乱れる、うちの親父の飲みっぷりとは、また違うタイプで、顔色も変わらず、乱れずに大酒を呑む九州男児の酒豪である。
母方の田舎には、小さな頃から、よく行っていた。この叔父さんにも、沢山遊んでもらった思い出がある。子供の頃は早く寝かしつけられたが、高校生の頃になると一緒に酒を飲ませてくれた。大人の仲間入りをさせてもらえたようで嬉しかった。
『よく飲むなあ』と面白がって酒を勧めてくれたが、とてもついていけない。親父と叔父さんは、皆が寝てしまった後も、いつまでもいつまでも飽きることなく、酒を飲んでた。
オレは密かに、この二人を『うわばみブラザーズ』と呼んでいた。
そのうわばみの親父が死んで、あっという間に3ヶ月が経った。
酒飲みのブラザーを亡くしてしまった叔父さんは、少し寂しそうにお猪口を煽っていた。
帰りに皆で家に寄った。親父のアロハシャツを叔父さんに渡すという。形見分けだ。
はて、アロハなんてあったかな?と、タンスを開けると、恐ろしいほど真っ青なアロハと、紺色の渋いアロハが入っていた。
渋い紺色のほうを叔父さんに着てもらうと、少し大きめだけど、いい感じに似合っていた。少し大きめ位が丁度良い。叔父さんも気に入ってくれたようだった。
正確に言うと、この紺色の方はアロハではない。かりゆしだ。
わかりやすく言うと、沖縄産のアロハに似たシャツで、沖縄ではビジネスも冠婚葬祭も、このかりゆしの着用でOKなのである。
このかりゆしには、ひとつエピソードがある。
オレと嫁は沖縄の恩納村で結婚式を挙げた。嫁の母、祖父母がうちなんちゅ(沖縄人)で、以前沖縄に滞在したときに、大変お世話になったから、ぜひ式を祖父母にも見て欲しいと思ったのだ。
こじんまりとやりたかったので、参列者はお互いの両親、兄弟、祖父母までで、10人くらいで収まるつもりで準備を始めたのだが、新婦の沖縄の親戚側が知らぬまに増えに増え、40人近くなってしまった。さすが沖縄である。
ちなみに新郎側の参列者は両親の2人きり(笑)
堅苦しいのも嫌だったので、皆に平服で来るようにも伝えてもらった。そのほうが沖縄らしくて良いと思った。
その挙式当日に親父は、どこで聞いたのか、紺色のかりゆしを手に入れて着てきた。
『沖縄は結婚式で皆これ着るんだろう?』
得意気だった。
次々と集まってくる沖縄の参列者を見てるとフォーマルスーツが目立つ。
オレと親父は顔を見合わせた。
まさか…と思ったが、結局、沖縄側は全員フォーマルスーツだった。
親父を見ると目を真ん丸にしていた。
『話が違う』と顔に書いてあった。
壇上から見た光景は今でも鮮明に思い出せる。
左の列に数十人のフォーマルスーツを纏ったうちなんちゅ。
右の列に2人の両親。ポツンと、かりゆしを纏った関東人。
あの画を思い出すと笑ってしまうが、今では、お互い違う土地の者同士、気を使った結果があそこに表れてたんだなと思う。
後日、この話を沖縄のおじさんにすると
『いやあ、お父さん、かりゆし着てたでしょ。あれ見て、やられた!って思ったよ』
この言葉に親父は救われたようだった。伝えたときに、嬉しそうに笑った。
かりゆしを見つけるまで、こんなこと忘れていた。
タンスの肥やしになって、いつか処分していたかもしれない。
あの『うわばみブラザーズ』の叔父さんに着てもらえたら、こんな嬉しいことはない。
2012年02月24日
インドの写真と覚え書き(帰国)
ニューデリーの地下鉄駅は、メインバザールから鉄道の線路を越えたトコロにある。
陸橋を渡っていると、道端で本を売る露店が幾つかあった。
その中のひとつに、明らかに、エッチな本を売ってる男がいた。お国柄、この手の本は売ってないと聞いていたが、表紙を見る限り、いかがわしい本に間違いない。
買うつもりは、全く無かったが、値段が気になった。
興味が全くない、という顔をしながら、通りすぎる瞬間、出し抜けに
『その本いくらっ!?』
と、訊ねると、不意をつかれた本屋の男は、目を白黒させながら
『20…!35!…いや、50だ!!』
と、僅か2秒の間に、2倍以上の値段の更新をやってのけた。商魂逞しいにも程がある。
笑って立ち去る。男もバツが悪そうに笑っていた。
地下鉄の入り口に、物乞いの老婆がいた。
心此処にあらず、という顔で片手を道往く人に差し出している。
右ポケットを探ると、2ルピーのコインが1枚だけ、入っていた。日本に帰る我々には、もう無用のコインだ。
そのコインを老婆の手のひらに乗せる。
インドで見た、一番の笑顔だった。
空港に、出発の2時間前に着いた。
チェックインを済ませて、近くの両替所でルピーを円に換えようと、列に並ぶが、さんざん待った挙げ句、円は無いと言われる。
あれ?円の表示がモニターに出てるのに。
『円にしたいなら、あの向こうの両替所だ』
と指差された両替所に向かう。すると
『円は、あの入り口のそばの両替所だ』
なんだ、このたらい回し。入り口のそばの両替所に来ると
『今、円を切らしてる。あと15分待て』
むふー! インドォォォォォォォ!!と叫びたい気分だ。
『円は、もういい。ドルに換えてくれ!』
面倒だが仕方ない。
『ドルも切らしてる』
むふふふうー! インドぉぉぉぉぉぉぉおおおおおщ(゚Д゚щ)!!
このたらい回し事件で、すでに搭乗時間の1時間前を切っていた。焦る。
むふー!と、憤慨しながら他の両替所に、ドルだ!ドルに換えろ!と懇願する。
『ここはクローズだ』
怒りを通り越して、フーン、となった。先程の15分待てと言われた両替所に戻ると、行列も増えている。それを見ても、もはや、フーン、としか思わなくなっていた。
そうだ、ここはインドだ。最後の最後までインドだ。
ちなみにルピーは国外持ち出し禁止で、日本では再両替出来ないと聞いていた。
空港職員に『セキュリティチェックして入場した後に両替所はあるか?』と聞いたら『ない』と言われた。実際は有ったのだが、クローズしていた。
やっとの思いで、両替を済ませて、セキュリティと出国審査を抜けた時には、すでに搭乗時間を過ぎていた。
ゲートも遠い。
小走りで搭乗口まで行くと、係員が『トーキョー、トーキョー!!』
と叫んでいた。我々が最後の乗客らしい。
『はーい!トーキョー』
『良かった、早く乗って!』
と搭乗口を進むと、大柄な係員が立ち塞がり
『荷物を拝見』
えー!またやるの? バックを差し出した。
『これはなんだ!』
と、係員が手にしたのは、メインバザールで作った、神様名刺だった。ガネーシャの絵を選んだヤツが100枚束になってる。
『名刺だよ』
『クールじゃないか、1枚もらっていい?』
『いいよ』
名刺の初の貰い手は空港係員のインド人となった。
セキュリティの女性係員も、今日着てたガネーシャのTシャツを見て
『グッドね、それ』
と指さされたし、ガネーシャの人気がホントに高いんだな、と思った。
名刺に関しては、裏のカレンダーが欲しかっただけかも知れんが。
座席はエコノミーの中程だったが、先頭の席が空いてたので
『ここ、誰も居ないなら、座ってもいい?』
と訊ねるとオーケーだった。やった、足が伸ばせる、と喜んでいたら
『その代わり、これを読んでおいてくれ』
と、紙を渡される。
『あなたは、非常時にもし、私に何かハプニングあった場合、この非常口を開けなければなりません』
『え?あ、はい』
『だから、開け方を覚えておいてください』
『わ、わかりました』
この席、初めて座ったが、こんな責任を課せられるとは知らなんだ。しかし、おかげで快適に帰れた。
あんなに重苦しい顔で『私にもしも何かあったら…』と言っていたキャビンアテンダントも
『もっと飲むかい?』
と言って、何本もビールのお代わりをくれて、いささか酔っ払った。
もしも、その『何かあったら』の時になったとして、その時オレに、その役目を果たせたかどうかは、まるで自信がない。
インドに初めて入った日の感想は
『間違った国に来てしまった』
だったが、帰国してから、なんだかジワジワくるものがある、不思議な国だった。
冒頭で、夫婦で行きたい国リストを書き出したが、インドもめでたく、再リスト入りを果たした。
次回の目標は、もちろん、地下鉄でチベタンマーケットに行くことである。
おしまい
インドの写真と覚え書き(デリー4)
食事を終えた我々は、チベタンマーケットに向かうことにした。
あのリキシャに、さんざん連れ回されて、地図を見ても、自分達の位置が全く分からなくなっていた。
チベタンマーケットまで、歩いても20分くらいの距離のハズだった。時間を無駄使いしたので、サイクルリキシャに声をかける。
三台くらい、サイクルリキシャがたむろっているところに『jaypathまで10ルピーで連れてってくれ』と頼むと、笑われた。
『おい、聞いたか? この日本人、10ルピーでjaypathまで行けってさ!ウヒャヒャヒャ!』
こんな感じだった。しかし我々はニューデリー駅から、ここまで10ルピーで来たので、可能だと思った。
笑われて頭に来たので、次のリキシャを探す。
『ナイスなヘアスタイルだなー!』
ターバンを巻いたリキシャワーラーが、話し掛けてくる。
交渉すると『ショップに寄る条件付きで30だ。寄らないなら50』
と言われ、断った。インディアンプライスの壁は高い。
歩いてるうちに、リキシャもあまり、見かけなくなってしまった。
『ねえ、メインバザールで名刺作るって言ってなかった?』
嫁が言う。そうだった。神様名刺を作るつもりだった。1時間位かかるらしいので、早めにメインバザールに戻らなければならない。
時計を見ると、もうマーケットで、ゆっくりする時間もない。
悔しかったが、チベタンマーケットを諦めて、メインバザールに行くことにした。
『メインバザールまでいくら?ショップに寄らないで直行ね』
通りがかりのリキシャに訊く。
『40だ』
リキシャに乗り込む。
『だけどショップに寄ってくれたら30でもいい。ショップに寄ってくれよ。安い店知ってるんだ』
『いや、だからショップには寄らない。40払うから行ってくれ』
『ショップに寄らないと行かない!』
まるで、駄々をこねる子供だ。例によって、嫁はリキシャを降りている。
『最初、40で直行って言ったじゃないか!』
『嫌だ!ショップに寄るんだ!』
どいつもこいつも、二言めにはショップ、だ。そんなにマージンがいいのだろうか。
こいつは諦めて、他のリキシャを拾った。
『メインバザール、二人で40ルピー、ノーショップ、オーケー?』
『オーケー!』
やっとマトモなリキシャに当たった。と、一安心していると、なんと3分程で『着いたぞ』と言われる。
近っ!!
『え!こんな近かったの?』
我々は呆然とした。
なんだか、ドッと疲れが出た。
一休みして、神様名刺を作りに行った。好きな神様や図柄を選んで、名前と電話番号等を印刷してもらう。
裏側がカレンダーになってて、便利だ。一枚1ルピー。100枚依頼した。
17時に来てくれ、と言われた。それまで、メインバザールの店で、お土産を選んだ。
今まで、メインバザールで、ゆっくり買い物をしなかったが、改めて見回すと、ちゃんと値札が貼ってあったり、Tシャツが50ルピーで売ってたり、買い物しやすい場所だった。
17時に名刺屋に行くと、まだ仕上がってなかった。インドタイムである。結局17時半に受け取る。
宿に帰り、フロントに放置されている荷物を持って、ニューデリーの地下鉄駅へ急いだ。
インドの写真と覚え書き(デリー3)
リキシャに乗って、しばらく走ったところで降ろされた。
いかにも、街角の定食屋といった風情の店構えの建物の前だ。
『そこだ。近所で評判のターリー屋だ。30分で食べてくれ』
『40分だ』
と言って、店に入る。英語のメニューが無かったが、壁には英語でターリー80ルピー、スペシャルターリー100ルピーと表示されていた。
我々はターリーとスペシャルターリーをもらった。
店先ではサモサや名前のわからない揚げ物を揚げていて、通りの人々がテイクアウトしていく。
どれも旨そうだったが、この時のオレは便秘がちで、膨満感に悩まされていたので、食べる事ができなかった。
ターリーが運ばれてくる前に嫁が
『なんか面倒なことになったね』
と言う。その通りである。10ルピー払っておさらばしとけば良かった。
『そうだな。あのショップも行きたくないよな』
『うん、あそこに欲しいモノはないし、入ったら、また面倒なことになりそう』
『よし』と言って席を立つ。『話をつけてくる』
店の前に出ると、リキシャワーラーの姿がない。なにやってんだ、これでは逃げることが出来るじゃないか。
しかし、リキシャの支払いも、食事も終わってない。オレは義理堅い日本人なのだ。
店に戻って、ターリーを頬張る。この店も旨かった。
スペシャルはカレーが一品多かった。いままでチャパティばかりだったが、この店はナンだった。
それも、ナンを何枚も重ねて入っているバスケットをドスン、とテーブルに置いていく。例によって、カレーのお代わりも、たくさん運ばれてくる。
リキシャワーラーが、店の脇に戻ってくるのが見えたので、外に出ると
『おお!もう食べ終わったのか!』
と満面の笑み。
『いや、話があるんだ』
『なんだ?』
『我々はさっきのショップには行きたくない、いや、絶対に行かない』
『なんでだ!約束したじゃないか!』
『決めたんだ。ここまで10ルピーで連れてきてくれたのは嬉しい。さらに、この店までも連れてきてくれたから、もう10ルピー払ってもいい』
『全部で20か』
『それを受け取ったら帰ってくれ。それがお互いのためだよ』
リキシャワーラーはうなだれて、視線を道に落としながら
『…そうか、わかった…。』
と呟いて、走り去っていった。
まるで、恋人同士のような別れを、名前も知らぬ街角で行った。
あーだこーだ言ってくる奴もいなくなって、せいせいしたと思ったが、ここからが、更に面倒だった。
2012年02月23日
インドの写真と覚え書き(デリー2)
最終日の朝はゆっくりだった。今日やることといえば、お土産を買うくらいのものだった。
昨夜はニューデリーに23時半頃着いた。さすがに疲れて、ぐっすり寝た。
チェックアウトが12時。帰りの飛行機は21時。時間はたっぷりある。
フロントに『チェックアウト後も荷物を預かって欲しい』と頼むと『ノープロブレム!無料でオーケーだ』と言われた。
預けると言っても、フロントの片隅の床の上に放置されるだけだったが。
よく無くならなかったなと思った。
メトロポリスでバフステーキを食べた夜、隣のテーブルについた、ドイツ人夫婦に
『買い物するなら、メインバザールより、チベタンマーケットが良いよ』
と教わった。すごくフレンドリーで、頼んでもいないのに『写真を撮ってあげるよ』と、オレのカメラで我々を写真におさめてくれた。
彼等はアクセサリーの仕入れに来たと言っていた。ドイツでもインド雑貨は人気があるようだ。
奥さんが綺麗なショールを巻いていて、それもチベタンマーケットで買ったそうだ。
コンノートプレイスの少し先、Jaypathという通りにあるらしい。
マーケット。響きがいい。今日はそこに行こうと決めた。
我々は50ルピー以内でjaypathに行けたらいいかな、と決めて、宿を出た。
目の前の道には、たくさんのリキシャが走ってる。どれにしようかなと思ってると、道端の男が話し掛けて来た。
『アーユーネパール?』
『え? 日本人だよ』
『ジャパニーズ! ネパール人に見えたよ』
『あんま言われたことないよ』
『僕にはジャパニーズの友人がいるんだ。とても仲良くしてる』
『へー』
『来月、千葉にも遊びに行くんだ』
『もしかして、西葛西のことかな』
西葛西には、たくさんインド人がいる。
『君たち、今からどこへ?』
『チベタンマーケットだよ』
『チベタンもいいけど、その手前にも安いマーケットがあるよ』
と言って、地図を指さす。のぞきこむと、チベタンマーケットに向かう途中に、そのマーケットはあるらしい。
『へー、安い?』
『とても、安いさ! お茶とか布とか、色々ね!』
とにかく、マーケットが見たかった。チベタンマーケットに行く前に、そこに寄ってみてもいいなと、思った。
『行くなら、俺がインディアンプライスで連れてってあげるよ』
今思えば、ここから面倒が始まっていたのだが
『インディアンプライスだと幾らで行けるの?』
『2人で10ルピーだよ』
『え?ホント!?』
我々の予想の5/1だ。
男は目の前を走っていたリキシャを呼び止めて
『この2人を、この地図の場所へ、連れてってくれ』
『50ルピーだ』
『インディアンプライスで頼むよ』
『オーケー、1人10ルピーだ』
『ダメだ、この2人は、俺の友人なんだ、2人で10ルピーにしてくれ』
『わかった』
鮮やかだった。我々は『ありがとー!』と言って、男と握手してから、出発した。
渋滞と埃のすごい道路をしばらく走った。
我々は空腹だった。マーケットの辺りに着いたら、ご飯を食べようと決めた。
『ついたぞ、帰りはどうするんだ?』
リキシャワーラーが聞いてくる
『決めていない』
『良かったら、買い物やご飯の間待っててあげよう。帰りも10ルピーでいいよ』
『買い物して、ご飯食べたら2時間かかるかもよ、いいの?』
『ああ、いいよ。支払いは後でまとめてもらうよ』
願ったり叶ったりだ。
『わかった。じゃあ、よろしく』
と言って、リキシャを降りると、目の前にショップがあった。小綺麗な店構えで、布を取り扱ってるようだった。値段も張りそうだ。
スタッフらしき男が、ドアを開けて、こちらを見つめて会釈している。
いや、入らないから、と無視して『さー、メシメシ』と右に向かって歩き出すと
『ちょっとちょっと!ミスター!』
と、先程のリキシャワーラーが必死な形相で走って追い掛けてくる。
『何?』
『なんでショップに入らないんだ!』
『いや、我々が見たいのはマーケットであって、ショップじゃないんだよ。市場』
『何言ってる。あの店がマーケットだ。買い物に来たんだろ』
このリキシャワーラーが、あの店に客を運ぶと、マージンが貰える。それはわかる。しかし、最初に話しかけてきた、道端の男もグルだったのだろうか。少し悲しくなった。
落ち着いて周りを見渡すと、マーケットどころか、商店がポツポツと点在しているだけだ。
『あのショップに寄ってくれないと困るんだよ』男は言う。
『我々は、今腹が減ってるんだ。レストランに行く』
『レストランか?オレが良いところを知ってる!連れてってやる。食べ終わったら、そのショップに寄ってくれ!なあ、いいだろ?』
あまりに必死なので、つい『オーケーオーケー』と返事をした。
『ついてこい!すぐそこだ』
我々は男の後を3分ほど、ついて行った。
『その角だ。30分で食べてくれ』
『30分?』腹がたった。
なんで時間まで決められなきゃいけないんだと思い
『30分で食べ終わるか、わからないからね』と言って、店の前に立つと、そこはハンバーガーショップだった。
我々は顔を見合わせた。なんでここまで来て、ファーストフードを食べなきゃならんのだ。静かにその場所を立ち去ろうとすると、また男が追いかけてくる。
『なんで入らないんだ!インド人にも大人気のハンバーガーだぞ!』
男は、今にも地団駄踏み出しそうな勢いだ。でもそれは、こちらだって同じ気持ちである。
『ハンバーガーはいらない。我々はインディアンフードが食べたいんだよ。カレーとかターリーの店だ』
『あーもう!分かったよ!ついてこい!!』
と言って、男のリキシャまで戻り、再び乗り込んで出発した。
2012年02月22日
インドの写真と覚え書き(アグラ3)
夕方、タージマハルに戻り、裏側に廻った。右側の道から行くことができる。
ヤムナー川のほとりでは、夕焼けに染まるタージを撮影してる欧米人がいた。三脚を立てて、タージにレンズを向けている。
川の向こうに渡してくれる舟は、たった一挺しかいないようだった。交渉すると、二人で『150ルピー』と言われた。
『100』
『120だ』
他に競合相手になる、ボートがいないので値下げの材料に乏しい。もう少し頑張れば下がりそうだっだが、もう日が沈みかけてる。120ルピーで乗せてもらうことにした。
ボートはゆっくり対岸に向かう。夕日も丁度いい具合だ。数度シャッターを切ってから、ビデオカメラと三脚を取り出すと
『ノービデオ。フォトオーケー』
と言われた。え?と、不思議そうな顔をすると
『後ろを見ろ、見張られている』
そう言われて、たった今離れたばかりの川岸を振り返ると、数人の茶色い制服の衛兵がこちらを眺めていた。ライフルを携えている。彼らは街中や空港、至るところにいた。
タージマハルの場内はビデオ撮影禁止だった。まさか場外からも禁止とは。
川岸でカメラを構えていた欧米人に目をやると、彼の隣にも衛兵が立っていて、モニターを覗き込んでるようだった。
ビデオは諦めて、しばらく夕日に見蕩れた。
船頭が『どうだ?』と聞く。
『グレート』と答えた。
反対側に着くと、舟は我々を降ろさずにそのまま引き返した。そういうコースらしい。我々も降りるつもりは無かった。日が沈んだら、あっという間に暗くなる。暗くなる前にリキシャを見つけたかった。
もとの川岸に着く頃、日が沈んだ。
朝会った、好印象ワーラーをずっと探していたが、ついぞ出会えなかった。また、がっついてこないリキシャを探して歩いてると、我々を見ても全く興味を示さないリキシャワーラーを発見した。
『チョコジーマン(ターリー屋)に行きたいんだけど、いくら?』
と聞くと、困った顔をしてる。英語が話せないのだ。話しかけて来ないわけだ。
彼はリキシャを降りて、歩きだした。ジェスチャーで『ついてこい』という感じだ。ついていくと沢山のリキシャワーラーがお茶をすすっているトコロだった。
一人の男が通訳をしてくれた、というか、この男と交渉になった。結局タージから8キロほどのチョコジーマンへ行って、食事を1時間する間に待機してもらい、更にその後、アグラカント駅まで送ってもらって、250ルピーで手を打った。
チョコジーマンはものすごく遠かった。更に道に迷ったので『食事は30分で済ませてくれ』とリキシャワーラーは言ったようだった。
『わかった、なるべく早く戻る』帰りの特急の時間も迫りつつある。指で30、オーケー、とジェスチャーした。
英語のメニューも置いてない、ベジタリアンのターリー屋だった。本格的なターリー100ルピー、コーラ20ルピー。写真忘れた。
旨かった。食べてるそばからウェイターが、チャパティやチリペッパーの漬物的なモノを皿にじゃんじゃん載せてくる。これがまた絶妙に旨い。うめ〜と言いながら頬張っていると
『これってさ、勝手に置いてって、あとでキッチリ請求されるパターンじゃないよね?』
と、ハッとするような事を言う。そういえば、そんな話も聞いたことがある。疑心暗鬼になった我々は、次にまたカレーのお代わりを持ってきたスタッフに『のおおおおお!』と激しく抵抗する。するとスタッフは
『ノーチャージだよ!安心してwww』
と、たしなめられてしまった。安心して『じゃあ、このじゃがいものカレーちょうだい』とお代わりする。しかし、本当に次々と持ってくる。さすがのオレもギブアップ。それでも、ここのスタッフは『なんだ、もっと食わないのか?ジャパニーズ』と不思議顔だ。
本当にあれ無料か?と会計が心配だったが、二人でキッチリ240ルピーだった。
苦しいお腹を携えてアグラカント駅に戻った。遅れないと評判のシャタブディ特急だが、全然来る気配がなかった。
電車を待ってる間に、一人の日本人と知り合った。『日本の方ですよね?』と話しかけられたのだ。
なんでも40日間で世界を巡り、インドをなんと2日で駆け抜け、明日はトルコに向かうという。いろんなヒトがいるものだ。
彼はアグラで散々な目に合ったという。デリーのシゲタトラベルでツアーを申し込んで、アグラに着くと『私がシゲタトラベルだ!』と言い張る偽ガイドが沢山いたらしい。どれが本物かわからないので、デリーのシゲタトラベルに連絡すると、本物のガイドはアグラ駅に行くのを忘れていたそうだ。
おそるべし、である。彼とは日本での再会を約束した。
1時間以上喋っていたら、特急が、やっと到着した。これで、デリーに帰れる。
帰りの特急、またハーブが配られ始めたので、寝た振りを決め込んだが、今度は嫁が捕まり、チップを取られた。
インドの写真と覚え書き(アグラ2)
タージマハルの入場料、外国人は750ルピー。1125円。
一方、インド人は20ルピー。30円。いくらなんでも、格差がありすぎな気がするが。
インド人にとってターリー1回分だという。日本人も晩御飯を外食したら、1000円かかるか。と、自分に言い聞かせる。
せっかく物価の安い国に来たという恩恵には、ここでは預かれないらしい。
セキュリティで荷物をチェックされた。本や色鉛筆が持ち込み禁止と言われて、入り口の脇の預かり所に預ける。
引き換え証はない、とホイホイに書いてあったので、名札を付けて自分の名前を書き込んでおいたが、番号の書かれたコインを渡された。これでバッグにふった番号と照らし合わせるらしい。
遠くにタージマハルが見えた。美しかった。
中ほどまで行くと、長方形の池に水が張ってあって、そのお堀にタージマハルが映り込んでる。
その中でも、一番良いと思われるポイントに、高見盛をふたまわりほど小さくしたような、白いクルターを着たインド人のおっさんが立ち塞がってる。
『ヘイ、ミスター!写真撮りたいんだろ。ここがベストポイントだ!』
と、高見盛が手招きする。
内心、面倒臭いと思ったが、写真は撮りたい。その場所でシャッターを切る。
『ありがと。じゃあね』
と、そこを離れると、その高見盛もどきは隣に並んで歩いて、ずっとついてくる。右手を俺の前に差し出して、しきりに手を揉んでる。察しはついていたが『なあに?』と聞いてみる。
『チップ、チップ』
小声で囁く。
あの場所は、誰もが写真を撮りたいと思う場所だ。高見盛もどきは、そこを占領してるにすぎない。逆に、チップを請求できる、正当な理由があるのかと思い
『なんで?』
と訊ねると、高見盛もどきはクルッと引き返していく。次のカモを探すのだろう。
タージマハルの中は、たくさんの人で溢れていた。時折『ピーーーッ!』と警笛が鳴る。
内部の棺は撮影禁止なのだ。撮影してるところを見つける度に、警備員が笛を吹き、怒鳴る。
だが、たくさんのインド人達は、お構い無しだ。ハートが強い。フラッシュまで光らせてる。バレるっつーの。
誰かが警備員に説教されてる隙に皆シャッターを切る。オレもそこに紛れて数枚撮らせてもらったが、特に面白い絵は撮れない。
ひとしきりタージマハルを見学すると、やることがなくなった。
後ろを流れるヤムナー川を眺めるとキングフィッシャーがいた。
夕方、ヤムナー川を渡ると、夕焼けに照らされるタージマハルを見ることが出来るという。
もう一度来ることにして、タージマハルを後にした。
町に戻ると、またリキシャワーラーが群がってくる。『アグラフォートとベイビータージは見たのか?連れてってやる』と話掛けられるが、一休みしたかった。
『ビールが飲みたい』
と言うと、この宿の屋上で飲める、と目の前の建物を指差した。shanti lodgeというゲストハウスだ。
中に入って、掃除をしていた男性に、ここでビール飲めるの?と訊ねると『ああ、屋上で飲める』と教えてくれた。
屋上のレストランは眺めが良かった。タージも遠くに見える。
『ビールね』
とスタッフに声を掛けると
『今、売り切れなんだ』
と言われる。泣きそうな顔で
『のおおおおお』と言うと
『ちょっと待てるか?今買ってくるから。10分だ』
10分か、しょうがないと嫁を見ると、10分も待てないという顔をしていた。喉が乾いていた。だが移動するのも、億劫だ。
10分と言っていたが、5分程でキングフィッシャーにありつくことが出来た。ここでも、エッグポカラを食べた。旨かった。
タージマハルは素晴らしかったし見ることが出来て嬉しかったが、他の名所には、あまり興味がなかった。
町でインド人を見てるほうが面白かった。だが、帰りの電車まで、かなり時間がある。
アグラフォートに行くことにした。
アグラフォートは芝生が広がり、猿やリスが走り回り、緑色の綺麗なインコが飛び回る、気持ち良いところだった。
のんびり芝生に寝転がって過ごした。
2012年02月21日
インドの写真と覚え書き(アグラ1)
ニューデリー発6:15発、まだ夜明け前の薄暗いホームから、シャタブディ特急に乗る。この特急はインドでは珍しく、あまり遅れないという。デリーからアグラまで約200キロを2時間で結ぶ。乗るとすぐ、ミネラルウォーターとお茶とクッキーが配られた。紅茶が寝起きの体においしい。
紅茶とクッキーを片付けると、すぐ朝ごはん。至れり尽くせりじゃないか。
朝食はカレーコロッケだった。白んできた窓の外を眺めながら、コロッケを頬張っていると、給仕係が
『もう一つ食べるか?』とカレーコロッケを差し出してくる。
『いいの?』と言って、給仕係の持ってるコンテナを覗き込むとカレーコロッケの他にオムレツのパックが見えた。
『オムレツのほうがいい』
と言うと、オムレツを渡してくれた。給仕は愛想も良く、サービスがいい。
食べ終わって、まどろんでいると、今度はハーブを配り出した。目の前に差し出された小鉢を見ると、ハーブにザラメみたいなものが混ざっている。スプーンで好きなだけ取れと言う。嫁が隣で『フリスクみたいなものだよ』と言う。スプーン一杯分もらうと、チップを請求された。
時刻表通りにアグラ・カント駅に到着。駅前に出るとリキシャが沢山寄ってくる。かなり多い。多過ぎる。
こちとら、プリペイドリキシャのカウンターに並んでいるというのに、小柄なリキシャワーラーが、お構いなしに話かけてくる。
『おーい、このカウンターに払おうが、私に直接払おうが値段は一緒だ。並ぶのは嫌だろ?だったら私のリキシャに今すぐ乗って出発しよう! 同じ金額なんだから』
この調子である。グイグイがっついてくるリキシャは選ばないと決めていたので
『いやだ。カウンターで支払う』と答える。
『なんでだ。私は、ここのプリペイドリキシャのドライバーだよ』
信じるわけがない。無視して、カウンターに『タージ・マハルまで』と料金を支払うと、その小柄な男がカウンターのスタッフに何か話掛けた。すると、カウンターから支払い証を受け取り、オレに手渡してきた。
『さあ、私のリキシャだ』
ものすごく、してやられた感があるが、カウンターに支払ってしまえば、これ以上取られることはない。証紙のナンバーとナンバープレートも合ってる。まあいいやと出発。
ドライバーが『これを読め』とノートを差し出してきた。内容は
「このドライバーは、とても親切で、信用できる人物です。インド人を疑いながら旅行するのは、とてもつまらないことだと思います。僕はこのリキシャを一日チャーターして、いろんな場所を巡り、素晴らしい思い出を手に入れました。さあ、あなたも良い旅の思い出を 田中健一(仮名)」
という日本語で書かれた感想ノートだった。
背筋が凍りついた。ナイフでも突きつけられて、書かされたような文章じゃないか。なんだこの棒読み…いや、棒書き?
『ねえねえ』嫁が話しかけてくる。
『なに』
『この助手席に乗ってるヤツ、何?』
それはオレも薄々感づいてはいた。ドライバーの他に助手席に一人、男が乗ってるのである。
『さあ…』
ドライバーの友達か? タジマハル行くなら乗っけてよーって感じか? だとしたら、料金を3で割って割り勘にして欲しいところだ。なんにせよ、何か思惑があるのは間違いなさそうだ。
アグラの子供たちはジャパニーズが珍しいのか、我々の乗るリキシャに向かって、歓声を上げて手を振ってきたり、人の顔を見てケラケラ笑ったり、流し目で含み笑いをしたり、生き別れた親を見つけたような目をしてきたり、う○こを踏んでしまった時のような顔をしたり、忙しかった。
インドの子供たちがサイクルリキシャで通学してるのを、よく見かけた。なんと8人も乗せてる。じーさん頑張る!!
『タジ・マハルの次はどこへ行くんだ?』
『どこも行かない。ただブラブラしたいんだ』
もちろん嘘だった。このドライバーとは、タージ・マハルでおさらばしたい。
『一日ブラブラするのか? どうせ移動するんだろ、チャーターしたほうが得だよ。丸一日チャーターしたって1400ルピーなんだぜ』
この話は数回された。その度に
『いや、結構』
と言うと、ドライバーは少し不機嫌になった。リキシャは街の片隅に止まった。タージ・マハルのそばに着いたようだった。それらしい建物が見えないので
『タージはどこ?』
と訊ねると
『彼が案内する』
と助手席の男をアゴで指した。彼はそういう役目だったのか。
『最後にもう一回話を聞いてくれ』ドライバーは続けた。『チャーターした方が絶対イイよ。ディスカウントだってする』
まだ言うか。『ノー』と言って我々は歩きだした。ドライバーも、案内すると言っていた男も完全にスネた顔をして、動こうとしなかった。
案内なんて結構だ。うちらには『ホイホイ』がある。
道端で早速ホイホイを開くと、若い男が寄ってきた。
『どこに行きたいんだい?』
ジーンズ、Tシャツ、キャップの爽やかな感じで、印象の良い青年だった。
『タージ・マハルだよ』
『それなら、真っ直ぐ行って二つ目を右だよ』
『ありがとう』
『タージのあとはどうするんだい?』
『この辺をブラブラするだけだよ』
『そうか、僕はリキシャワーラーなんだ。もし移動するときは声かけてよ。いつもこの辺にいるからさ』
『わかった。ありがとう』
徒歩だったので、まさかリキシャワーラーだとは思わなかったが、今までで一番の好印象ワーラーだ。もし移動するときは本当に頼もうと思った。名前を聞いたが30秒で忘れてしまった。顔と服装を覚えてるから、なんとかなるだろう。
タージ・マハルに着いた。
2012年02月20日
インドの写真と覚え書き(デリー1)
The nestというゲストハウスはニューデリーの駅前だった。
残念ながら、窓は完璧には閉まらなかったが(針金で窓鍵を固定していた)、駅近、清潔、ホットシャワーが24時間使える、スタッフも良く、そして隣が酒屋。快適だった。
ホットシャワーを使う5分前にフロントに「使う」と申告しなければならなかったが、今までで一番熱いお湯が出た。
チェックインを済ませて、メインバザールを歩いてシゲタトラベルに向かった。両替とアグラ行きの切符を手配をした。両替の手数料は無料だそうだ。
ついでに『このへんにビールが飲めて、おすすめのお店ありますか?』と訊ねると
『グリーンチリがいいよ』と教えてくれた。
早速グリーンチリに行ってみると、客はまばらで、インド人がテレビでクリケットの試合を観戦していた。奥のテーブルには欧米人のグループの姿も見えた。
席に着く前に『ビールいくら?』と聞くと、メニューを見せてくれた。酒の種類も豊富で安かったのでテーブルについた。
ゴッドファザーのスーパーストロングというビールを飲んだ。125ルピー。飲みごたえがあって美味しい。日本で飲むビールに近い味がした。
つまみはチリポテト130ルピー。辛くて旨みがあって、野菜もたっぷり入っていて美味しい。インドで食べる野菜はどれも味が濃くて旨い。
喉を潤した後、メトロポリスというレストランに行った。ミカドという友人に、バフステーキが美味しいと教わったのだ。インド人は牛を食べないと聞いていたのに、水牛は問題ないらしい。それを食べてみたかった。
バッファローなんて生まれて初めて食べたが、クセのない上品な肉質でとても柔らかくて、旨かった。具沢山なカレーが225ルピー、キングフィッシャーが130ルピーだった。
ホロ酔いでデリーの夜の町を歩いた。初日の印象とは、うってかわって、楽しかった。
酒屋が見てみたかった。地球の歩き方に酒屋の場所が載ってたはずなので、開いてみる。街中でこの本を開くと、必ずインド人が数人近づいてくるので、我々はこの本を『ホイホイ』と呼んでいた。
『どこへ行きたいんだ?』
案の定、男が寄ってくる。
『酒屋に行きたいんだけど』
『ここを右に行った通り沿いだ』
寄ってくる男達は十中八九、リキシャだったが、中には、ただの親切心だけで教えてくれる人もいた。
店はすぐ分かった。人だかりと熱気が凄かった。皆、我先にと店に詰めかける。カメラを向けると『酒手に入れたぜー!いえーい』って感じで、ポーズをつける。
飲酒を禁じてるイスラム教徒、禁じてはいないが圧倒的多数を占める、ヒンドゥー教徒も公衆の面前では飲まないと聞いていたので、インドでは酒に困るかも、と思っていたが、ここデリーでは、そんな心配は無用のようだ。
店の中には沢山の酒瓶が見えた。中に入って、自由に瓶を手に取れる訳ではなく、店先のカウンターから店員に注文するようだった。我々もその混雑に加わる。すると店主が
『君たちは店の中に入れ』と我々に話しかけてきた。
我々はカウンターの左端にある木戸を開けて、中に入った。
『日本人はあそこに並んでるとスリに遭ったりする。だから入れたんだ』
『そうなんだ。写真撮ってもいい?』
『ノープロブレム。まず、俺を撮れ』
というのでパチリ。『どうだ』と言ってモニターを覗き込んできた。
『ノーグッド』と店主は言う。
『なんだよー、写真に写る時は笑顔笑顔』
『そうか、わかった』
パチリ。笑ってたのに、いざ撮ろうとするとキリリ。インド人は写真とはそういうもの、と思ってるらしい。
ここでは、まだ飲んだことのない銘柄のビール2本と、ウイスキーの小瓶を1本買った。
ビールは70ルピー、ウイスキーは85ルピーだった。値段もラベルに印刷されていて、明朗会計だった。合計225ルピー。250ルピーを大柄なスタッフに払うと30ルピーの釣りが来たので
『5ルピー多いよ』と言うと
『今5ルピーないんだ、いいよ』
と言われた。小銭がないからと言ってお釣りが少ないことはあったが、多くくれたのは初めてだった。なんて良心的なんだと思ってたら
『ティッシュ持ってる?』と嫁に話かける。
『持ってるよー!』と言って、嫁(酔っぱらい)はティッシュを取り出す。
スタッフが欲しがってるのは、見てとれたが、酔って上機嫌な嫁は、何も言われなくとも『あげるあげるー!』と言ってスタッフにティッシュを1パック手渡していた。
スタッフはとても嬉しそうだった。これでお釣りはチャラだなと思った。
楽しい酒屋だった。宿に帰ってお金を整理して、ビールを飲んで寝た。明日は朝6時の特急でアグラに向かう。
インドにまつわる、お酒コラムを発見したのでペタリ
http://sakebunka.sub.jp/column/world_India/archives/000342.html
2012年02月18日
インドの写真と覚え書き(バラナシ9)
宿に戻るとフロントが、エアポートまで送ってくれる車が、既にスタンバイしていると教えてくれた。
ラジに一目会いたかったが、来客中のようだった。色々お世話になったし、夫婦でラムを飲み干してしまったお礼に、日本に帰ったらラムかジャパニーズウイスキーでも贈ろうと思った。
エアポートに着いて、トランクを開けると、男性がどこからともなく現れて、荷物を運ぼうとするので、それを断り、ゲートをくぐる。機内持ち込みの荷物も預け荷も、チェックインを済ませる前にチェックされた。
前に並んでる欧米人が開封済みの酒瓶を係員の見てる前で捨てさせられていた。嫌な予感がした。オレの預け荷にもペットボトルに移し変えたカティサークが入っている。日本から持参して、チビチビ飲んでいたものだ。
機内持ち込み出来ないのは知っていたので、飛行機に乗るときは、いつもバスタオルにくるんで、預け荷にのほうに入れてた。いつもこれで問題なかったのに。
案の定、荷物の中を見せろと言われた。缶ビールと開栓してないミネラルウォーターは御咎め無しだが、係員はウイスキーを手に取ると、嫁にそれを手渡して
『これを、ゴミ箱に捨ててくれ』と言った。
嫁がゴミ箱に向かうと、途中で呼び止めて
『そこで飲んじゃダメだぞ』と言う。
冗談のつもりだろうが、笑えなかった。まだ半分以上あったのに(´;ω;`)
セキュリティチェックで右ポケットが反応したので『出せ』と言われた。
右ポケットには可愛らしいカエルの小物入れが入っている。ルピー用の財布にしていた。それを公衆の面前に晒すのが恥ずかしいので、出さずに『財布だ』と答えた。
『いいから出すんだ』
諦めて、財布を出して見せた。
『なんだこれは?』
『カエルの財布だ』
係員はカエルを両手でひとしきり揉みしだいた。そんなに揉まないでくれと思った。遠くで嫁がニヤニヤしていた。
こうしてバラナシを離れた。




